世界的パンデミックと終わりの時代のリバイバル(ハレルヤチャーチ高松 牧師 山川哲平)

これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。(ゼカリヤ書4:6)

以前、日本伝道隊の100年誌を見た時に驚くべき記事を発見しました。それは、約70年程前の塩屋聖会がどのようなものであったかを示す記録です。そこには、「喜びが爆発した!」と書いてありました。一体、どのような光景だったのでしょうか。文字通りでしょうが、一つ言えることは、そこにはこの世的な喜びではなく、人間的な知恵や力、策略やプログラムではなく、神の力が現されたのでしょう。聖霊の力の「力」は、ギリシャ語で「ドウナミス」、すなわち、爆発的な聖霊の力(ダイナマイトの語源)です。聖会では、神の国が現され、「義と平和と聖霊による喜び」が溢れていた事でしょう。多くの魂の救いがあり、献身者が起こされ、その者たちが日本中に散らされ教会が開拓されていきました。まさに、イエス・キリストの愛に感染した人々が、聖会でクラスターし、日本中に感染爆発・パンデミックしました。人々が変えられ、主の奇跡と癒しもありました。明らかに、「リバイバル」の雰囲気があった。いや、「リバイバル」の真っ只中でありました。リバイバルには、「信仰復興」や「大覚醒」という色々な定義があります。令和の時代で言えば、「霊的クラスター・福音のパンデミック」とでも言えるでしょう。湊川伝道館で最初に救われた人は、殺人犯の方でした。今の教会にそのような人たちを変える力があるでしょうか?人にはできません。しかし、神にはどんなことでもできます。

使徒の働きの1章8節に、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」とあります。この「証人」は、別訳では「殉教者」とも訳すことができます。「キリストのために命を捨てる」覚悟で、ペテロ達も自分の力ではなく、「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」とあるように、御霊の力によって、自分自身を主に捧げました。パウロを始め、彼らは当時の世界を騒がすペストのような存在となりました。日本の救い、教会の前進を諦めてはいけない。私は信じています。主を信じ、祈りに専念する者の上に聖霊が下され、イエス様のために命を捧げる者達が立ち上がることを期待しています。教会が立ち上がり、神のリバイバルの御業が現されると信じます。2020年、令和の時代は、新型コロナウイルスという目に見えない脅威がオーバーシュートし、世界的感染爆発・パンデミックが広がりました。安倍首相も「戦後最大の危機」とまで言いました。しかし、今後も、どんな感染爆発が起こるかは分かりません。飢饉や戦争があるか分かりません。まさに終わりの時代です。しかし、最も暗闇が深い時にこそ、神の栄光が現される機会となる事を期待したいと思います。「収穫とはこの世の終わりのことです。」<マタイ13:39> 

主が再臨される前に、収穫、リバイバルの御業がある事を信じます。リバイバルは、まず、私たちの中から、私から始まらなければなりません。「あそこ、ここ」ではなく、私たちの只中に神の御国が現され、信仰復興が起こされ、喜びが爆発し、主の救いが世界的感染爆発・パンデミックする事を信じます。