20年間の沢山の恵みを 主に感謝します!(ドーン・ボルトン宣教師)

「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。…なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」 (第二コリント12: 9-10

1999年10月4日初めて日本に来た私は、日本語能力はゼロに近く、日本の文化を少ししか知らない、日本料理などほとんど食べたことのない者でした!その時に、私がこれから20年もの月日を日本で過ごすと言われたら、私自身信じられなかったかもしれません。私にとっては日本の全てが新しく不思議に見えました。でもその時洗礼の時に与えられた御言葉を思い出しました。

「測り縄は麗しい地を示し、わたしは輝かしい嗣業を受けました」(詩篇16:6)

この日本は私の「麗しい地」で、ここには私の「輝かしい嗣業」があると思ったのです。

日本に来て以来、私は最初から主の恵みを味わっています。

始めて行かせていただいたのは四国の香川県でした。初秋で青空の下、柿の木が至る所にあり、金木犀の香りが漂う美しい地に感動しました。当時は喜びで満たされてベッドに座ったまま思い切り賛美を歌ったことがよくありました。きっとその頃住んでいたレオパレスの近所の人々を困らせたことと思います!

あれから年月が経ち主の恵みを様々な形で経験しました。冒頭の第二コリント12章の御言葉に出てくる「自分の弱さ」、足りなさを毎日のように経験し、よくわかってきました。もちろん言葉の問題があり、文化が違うための誤解や心の中での戦い、つまずきなどがありました。特に始めの頃にはよく失敗しました。それでも教会の兄弟姉妹が私を愛してくださって、私の不注意、知識不足、時に高ぶった態度を赦してくださったことを心から感謝しています。

宣教師生活の中でも自分の足りなさはすぐにわかりました。私は英語教師として日本に来ました。教師の免許がありますし、イギリスでも何年か英語を教えた経験があったので自分では自信を持っていました。しかし宣教団JCLから派遣された者として、英語を教えるだけでなく、イギリスで私の為に祈り献金してくださる方々にレポートや記事を書いたり、国に帰った際には、いくつかの教会や宣教の集まりに報告の話をしなければならないことがわかりました。それはつまり英語教師と同時に記者と講演者の仕事もあるということでした。奉仕においては、「才能があることだけ選べる」という訳ではないのですね!

2006年には日本伝道隊の宣教師になり湊川伝道館で奉仕を始めさせていただきました。そうすると、教会での奉仕がどれほど幅広いものなのかがわかりました!数学が苦手なのに会計チームに入ったり、内向的なのに皆の前でメッセージしなければならなかったり、賛美チームに参加した時期もありました。特に会衆の皆さんの前に立つ時には自分の弱さを感じ、くじけそうになりました。しかし主の恵みはいつも十分にありました。主の働きをする喜びが与えられ、自分の力でこの奉仕をとてもできないことを理解し、毎回奉仕の番が回ってきた時には一生懸命祈って、一切を主に委ねました。その結果、主は素晴らしく私を導き、満たしてくださり、私が捧げた「足りないもの」を用いて祝福してくださったと信じています。まさに主の力は「弱さの中で発揮される」ですね。

20年間の日本での生活を振り返ると、主の恵みを沢山頂いたもう一つの分野があることが分かりました。

教会の働きの中で、特に人間関係において自分の罪が明らかになることがありました。教会生活では、どうしても性格があまり合わない方がおられること、意見の違いがあることなどを乗り越え、主に集められた群やチームとして共に歩まなければなりません。教会生活は忙しいし、いろいろなプレッシャーもあります。そんな中私は自分の忍耐不足、自制不足、そして何よりも自分の愛の足りなさがよく分かりました。我慢できなくなったり、きつい言葉を言ったり、人を傷つけたりしたときもあり、そのような時には悔い改めなければなりませんでした。それでも、主の守りがありました。罪に負けて大失敗があっても、それで終わりではありませんでした。主の家族として共に歩み続けることができました。これは大きな恵みですね!

私の助けになったもう一つの主の恵みを証ししたいと思います。それは主にあっての喜びです。20年前初めて日本に来た時は喜びが自然に湧いてきましたが、20年もの間暮らしていると、喜びが簡単には感じられなくなります。誰でもそうでしょうが、寂しい時、先が見えない時、自分の働きには実りがあるのだろうかと思い悩む時、主が何をなさっているのか理解できない時がありました。でも私が日本にいるのは主の御心であるということは最初から深く感じましたし、私は主のものであるという喜びの確信と主の働きをする喜びはいつも私と共にありました。それによって私は何度も救われました。大変なときにも主にあって喜ぶことができるのは、大きな恵み、また力です。

今年は今までの日本での働きを終えてしばらく国に帰ります。これからどうなるかはっきり分かりませんが、フィリピ人への手紙1章6節のように、良い業を始められた方が全てを完成してくださることを信じ、また期待しています。私の中での主の良い業であったり、私を通しての主の良い業であったり、全てが私のものではなく主のものですから主に委ねて歩んでいこうと思います。